ゴミ屋敷とアスペルガー(ADHD的かも

ゴミ屋敷を解体して新居を建てるのは、地元の工務店に依頼することに決めた。家族の一人が、集成材を使用しない在来軸組み工法と工務店での施工を譲らなかったからだ。

土壇場で話をかき回されて本当に疲れが溜まった。しかし、そんなことで言い争っていたのは今では些細なことに思える。ネガティブな意味で。

ここのところの家族間での駆け引きから、本当に幸せな同居が実現するのかを真剣に考えざるを得なくなったからだ。この数ヶ月、建築会社選びをすることに追い回されていた。それ以外のことは考えられないくらい予定を埋めていた。今思えば現実の大事な問題から目を背けていたんだ。

初めは家だけで4000万も5000万も掛かると思っておらず、甘く考えていたとしか言えない計画だった。75坪の家を建てるなんて私だけでは経済的に不可能な話だ。しかし祖父母の協力も得て何とか実現できそうになってきた。建売を買うわけではなく注文住宅を建てるのだから、細部までこだわった家が建てられるだろう。全員が納得する仕様で家を建てられれば言うことない。みな、同居のために協力をしてくれている。資金援助はもちろん、まだ住める思い入れのある家を解体することもそうだ。

一方ゴミ屋敷に暮らす母は、「祖父母にもっと金を出させるべき。あんたがもっとローンを背負うべき。」と言うばかり。にも関わらず自分の希望を通そうとする。決まり文句は、「一緒に住まないから好きにすれば」だ。

うーん。相手の感情を考えながら発言することが難しいのだろうか。自分の立場を踏まえての発言も配慮に欠けている。家族間だけならまだいいが、公の場でも態度を使い分けられない。薄々気づいてはいたが、アスペルガー的なものかなと最近強く思う。

私自身が真っ当な人格を持っているとは言えないが、所謂普通の話し合いをすることすら苦労する。話があちらこちらに飛び、決まったことを覆すなんて日常茶飯事だ。話を覆すことに生き甲斐すら感じているように思える。この数ヶ月の間にも何度も話をふりだしに戻すし、建築中にも大工に「やっぱりあそこはこうして。やっぱりあそこはあの材料を使って。」と言いたいらしい。(施工する工務店の担当者に確認を取っていた) それをしたいがために、ハウスメーカーより自由度の高い工務店を選びたがっていたのかとも思う。追加で金を払えば対応してくれないこともないだろうが、迷惑極まりない話だ。

私は、母がゴミ屋敷を整理してくれて新居も清潔に保ってくれるのであれば心のケアをしてあげようなんて思わなかった。面倒だし、その辺りは配偶者の役目だと思っている。(※8/11追記 母のパートナー、つまり私の父が本来ケアをするべきだ。)しかし同居前に私の家族を散々傷つけ、今後に大きな不安が残る現状ではそうも言っていられなそうだ。根本から治療の相談をすることも視野に入れていかなければならないかな。


子供のころからずっと考えている。立派な新居なんて実はあまり興味がない。本当はゴミ屋敷を壊したいだけなんだ。そうすれば家族をやり直すことが出来るとまだ信じている。